何にも整理できず。むしろ希望の光が一つ消えてしまった件。
おはようございます、けんいちです。
このブログを始めたきっかけは、自分がゲイとして生きてきた時間を思い返して整理して、これからもゲイとして生きていくためにはどんなことを考えてどんなふうに行動していこうという、まるで今更感が否めませんが、自分が幸せでいるために惑ってみようという試みからでした。
40歳を不惑と言うらしいが惑いはなくならない。孔子のように立派ではないからだろうか。
今のところ何も整理できていない。
ただ書き散らかしているだけ。
それでも文字で残しておけば、いつか読み返すかもしれいし。
僕は夢をよく見る方だ。眠りが浅いからかもしれないが、子供の頃からよく夢を見る。
子供の頃は怖い夢が多くて、今でも2、3個の夢はディテールまで覚えているくらい怖かった。
一度しか見なかったが、死神と対決しなければいけない夢を見たことがある。西部劇の街並みのようなセットの中で死神ような風体をした黒い頭巾に大鎌を持ち骸骨の顔をした奴が建物と建物の隙間から僕を狙って大鎌を振り下ろそうとしている。僕の武器はサボテンだ。建物に沿って置いてある鉢植えのサボテンを投げつけるだけ。僕らはお互いに建物の表と裏にいて、建物列に沿って走っている。走るスピードはほぼ同じみたいだった。建物と建物の隙間になると死神が迫ってこようとするのだが、必死にサボテンを投げつけて死神が迫ってこないように追い払う。建物があと2、3軒で終わるところまで差しかかった時、建物がなくなったら死神に襲われてしまう、それまでにどうにかしなくてはと鉢植えのサボテンを手に取って頑張って投げつける。でも、次の隙間に差し掛かると死神が迫ってきてサボテンなんかじゃ倒せないと焦る。そしてとうとう最後の建物を通り過ぎた瞬間、死神は建物の向こう側から僕の目の前に現れて大鎌を振り下ろした。と言う夢が一番怖かった。
怖い夢を見ている時って、時間にしたら本当は数秒とかのことなのかもしれないけど、スローモーションな部分が混在していて長く感じるものだ。
これも子供の頃からのよくない癖のようにもうが、時間を逆算してしまって意味なく焦ってしまう。時間に追われるとはこのことで、時間に追われていると言うことに焦ってしまう。
時間がないんだ。
ミヒャエル・エンデのモモを読んだのはいくつの時だったか覚えていないが、時間泥棒に僕の時間もいつの間にか盗まれているようだ。
一つ悲しい出来事があった。
友達のカップルがパートナーシップを解消してしまった。
身近な友達としては唯一パートナーシップ制度を利用していたカップルだった。
いつか自分もとロールモデルとして希望を感じていただけにとても悲しい。
今日はこれ以上書くのはやめます。
まとまりがなくて長くなるばかり。
ただ焦りだけが残るばかり。
権利のための羞恥心。
おはようございます、けんいちです。
このイラスト、直球でバカにしてるでしょ?
誰もこんな無理強いをするためにLGBTの権利を主張しているわけじゃないのに。
こういう表現は単なる意地悪にしか感じない。
夫婦別姓でもいいじゃないかという議論が、ただ結婚したからといって女性が男性の姓を名乗らなくてもいいでしょ?というのと同じ程度の権利の主張をしているだけで、LGBTだって婚姻に相当するパートナーシップを認めて欲しいと言ってるだけなんだって。
それ以外の枝葉末節な権利は常識や良識の範囲で決まっていく物でしょ?
こんなことLGBTの一人として許されることじゃないって逆に言ってやりたい。
権利の形を決めるのは、その社会が持つ常識や良識なのだから。
そして権利に対する許容はその時代の背景が決めるものであって、その範囲を超えてまで認められるべきではないし、他者への迷惑になってはならないはずだし。
自由主義における自由とは何かについて、高校生の頃世界史の授業で初めて考えさせられたわけだけれど、何でもOKなのも自由かもしれないけど、何かを禁止することも自由意志の合意によって決められたならそれもまた自由の選択だというのがあった。
新たな差別を生むような自由は望まない。
むしろ禁止してでも仲良くやっていきたい。
性に対する意識なんて明日いきなり変わるわけではないのだから。
当事者たちの羞恥心には無配慮に、こんな主張もあるかもしれないじゃないかって、そこまでの鉄の精神は持ち合わせておりません。
何でみんなと一緒にお風呂に入るのが嫌なのかわかった気がする。
おはようございます、けんいちです。
本日、TumblrでLGBTに関するパロディというかディスりが流れてきてあることに気が付きました。
そのディスりは、LGBTの団体が女湯に全裸で入ってきて、何が問題なの?とジェンダーについて宣うのですが、周囲の女性客や子連れのお母さんが困惑するという風刺画でした。
この風刺を考えた人はストレートなんだろなと思った。
多分LGBTが考えたなら、全裸で入浴することがそもそもなかったんだろうと思うし、女性の体のままのビアン、男性の体のままのゲイならいざ知らず、トランスジェンダーで施術が個々人でまちまちな状態で人前で裸になりたいと思うわけないじゃん。
僕は人前で裸になることには抵抗があります。
むしろ、個人個人で分けて欲しい。
自分の性的なアイデンティティーのせいで他人を困惑させたくないし、だから本当は人前で裸になるのは抵抗があっても男湯に入る以上は見せたくない部分も隠しはしていないのであって、わざわざ困惑させる発想自体がすごくストレート的だと感じた。ちなみに見せたくないのは乳首です笑。
何だろう過剰な被害者意識というか、発想そのものが全然LGBTを知らないデリカシーのないものだと感じるし、やっぱバカにしてる?
そう、気が付いたあることというのは、少なくても僕は、ストレートに対して性的な部分を見せたいとはこれっぽっちも思っていないということなのです。
LGBTの中でも特にトランスジェンダーの人たちは、自らを見せ物にしたい人なんていないと思うし。
ストレートのみんながみんなそんなデリカシーのない人だとは言わないけど、同性同士なら裸を見せても問題ないという常識そのものが僕の感覚と合ってないんだと思う。
やっぱり僕はセックスしたり診察されるわけでもないのに、他人に乳首を見せたいと思わないんだもん。
体は男だけど、男の体に違和感はないのだけど、だけど何となく嫌なことには変わりない。
ゲイの友達と温泉やスパ銭に行く時だって、なんとなく嫌なのに。
自分の常識が通じないこと、常識で考えること自体が配慮の足りないことになってしまうこと、そしてその配慮のなさに傷ついたり怒りを覚えたりすること。
面倒臭えと言ってやりたくなることも僕にだってあるのだけれど、そんななんじゃ何も変えられないし、LGBTの問題に関してはストレートとは平行線だよね。
あなたの常識だと恥ずかしがることではないかもしれないけど、そんな常識を押し付けられて見せたくもない物を見せてるこっちは、レイプされて気持ち良がってたじゃんと言われてその行為自体を正当化されてる被害者の気持ちと言いましょうか。
ハァ〜?って感じです。
カードの解約。ただだらしないことの告白。
おはようございます、けんいちです。
大学時代の友人が結婚する時に、カードって何枚も持つの良くないんだよと言っていた。
無精な僕はいまだにその理由を知らないままです。反省。
僕の良くないところ。お金にだらしないこと。
借金をしたり、キャパを超えて高価な買い物をするといっただらしなさと紙一重だなって思ってるんだけど、子供の頃から値段を見ずに買い物カゴに品物を入れてしまいます。今までで一番驚いたのがカーテンを買い揃えた時のこと。カーテンて布切れでしょ?なのに会計で数十万ですと言われ、ええーーーーー!!!!と思ったことがあります。でも、さんざんああでもないこうでもないと注文した挙げ句会計しているので今さら考え直しますとは言えず支払いました汗。
あとダメなのが、サブスク的な定額サービス。契約をしていることさえ忘れてしまいます。
さまざまな定額サービスを利用しているが、最初の大失敗はジムの会員。最初の一回だけ行ってその後1年半の間、会費だけを払い続けたことがあります汗。入ってみたのはいいけど気が進まなかったし、仕事忙しかったし、彼氏が出来たことを言い訳にするしかないのだけど、とにかく1年半の間、毎月3万円支払い続けました。最初は行かなきゃ行かなきゃって思ってたんだけどさ、気がついたらジムの会員であることさえ忘れてた笑。
月日は流れ会員だったことを次に思い出したのは1年半後。カードの請求額が普段より高い月があって明細を確認していたら身に覚えのない3万円の支払いがあって、さかのぼって調べると毎月支払っていました。気づいた時には、えーーーー!詐欺にあってるのかも!って本気で焦りましたが支払先名を調べて解決。ジムの会員だったことを思い出し、速攻ジムに電話してその場で解約しました。
このように文字にしていくと、あらためて自分のお金へのだらしなさというか、きちんとしなさ過ぎを痛感します。
そして、カードの話。
カードは2〜3枚あればいいでしょと思っています。カード会社別に2〜3種あればいいかと。
なので同じカード種別のカードを、ポイントの関係とか契約の関係で増やさなければいけない時は増やすのではなくて面倒くさいけど切り替え手続きをすべきだと思っています。
最初に書いた友人の言葉の呪縛。理由は今でもわからないけど、良くないならきちんとしなくちゃと。
で、もう何年も前からずっとメインで使ってきたカードを解約しなくちゃと思っていたのですが、やっと先日解約をする準備が整いました。ずっと準備をしなくちゃと思っていたのですが、なんだか面倒くさくって、なんだかいつも忘れてしまって、何年にもわたってまたも会費を払い続けてきました。
でも〜、僕の持っているカードにはもっと深い闇を持つものがあります笑。
なんともう30年近く所持しているカードなんだけど、学生の頃にバイト先で作らされた、今や切り替え時期に機械的に送られてくるだけのカード。
でも、何となく記憶にあるのが年会費を払っていたような汗。
でも、放置。
今年こそは、この闇カードを解約することに尽力したいと思います。
封印してしまったこと。捨ててしまったもの。
おはようございます、けんいちです。
社会人になって封印してしまたこと、捨ててしまったものを列挙してみる。
どうして同性愛者になったのかを知りたい衝動。
東京探偵団全巻。
幼馴染たち。
過去の彼氏たち。
バックパッカーとしての自由奔放さ。
海外にしか自由はないという確信。
夜更かし。
もっといっぱいあるかと思ったら、意外とこんなもんだった。
他には思いつかん。
もともと考えてからしか行動しないし、損得勘定が捨てられないし、学生の頃はトンガっていたけど、中途半端だったのだな〜と思う。
中途半端さが、もしかしたら全てを捨ててきたのかもしれない。
今でもすごく悔やまれるのが、東京探偵団を捨ててしまったこと。
数巻しかなかったと思うけど、あれこそ幼少期に夢見ていた世界だったと思う。
バックナンバー漁ってみようかな。
封印が解放された時、最後に希望は残るのか?
おはようございます、けんいちです。
僕は大学時代に、なんで自分が男が好きなのかその理由が知りたかった。
でも自分の専門は法律だったので、当時の異分野での最新の研究成果も単なる聞きかじり程度にしかわからず仕舞い。というか、今も当時も核心に迫るような研究結果に出会った試しはないのだけれど。単に僕の探究心が低いせいなのか。
今日、たまたまBSでHUMANIENCEという番組を見ていて、哺乳類の進化にはウィルスが関与しているという内容を見たのだけど、哺乳類の胎盤はウィルスの遺伝子を取り込んだ結果生成された物だというのである。
卵生から胎生への進化。
遺伝子って面白い。
ずいぶん昔に封印した、なぜ自分は男を好きになるんだろうか?が蘇ってきた。
大学に進学していろんな分野の知識に触れて芽生えた疑問。
なぜ僕は同性を好きになってしまうのか?
基本的に生物は自分の遺伝子を残すために生きていると理解している。そのため、遺伝子を残すことの出来ない行為は行わないし、しようと思わない。
人間だって動物なんだから遺伝子の目的から外れるはずはないのに、なんで?
なんで遺伝子を残す可能性がない行為を求めることになるの?
どうして生物学的な身体の作りとは釣り合わない心を持つの?
もしかしてウィルスから取り込んだ遺伝子のせいなの?
解明してくれたら、ずっと心の中にあって見えていないふりをしてきた何かに光をあててくれる気がする。
僕は今までゲイであることを否定的に考えたことはないし、これからもそうだと思っていた。
でも、違ったのかもしれない。
いや、否定はしないものの、無意識にでも、今まで同性愛者であることの何かに悩んできたのかもしれない。
自分を否定しないために、悲劇的な結果を予想しないように封印してきた何か。
社会人になってから完全に封印してきた探究心は、自分の成り立ちを知ることは、自分を肯定するためには必要なくて、今だけを見て未来を夢見て生きていくことで支えられてきたように思う。
でも、もしも過去に起こった何かのせいで同性愛者になることが判明したとしたら、もとに戻すことも可能なのかもしれない。
戻れたとして、今の自分を捨てたいとは思わないけど。
もうどんな結果も受け入れられるくらいの諦めを知っても頑張っているし。
でも、知って気が楽になることもあるし。
どんな意味があるのかを知ってこその可能性だし未来だと思うから。