何でみんなと一緒にお風呂に入るのが嫌なのかわかった気がする。
おはようございます、けんいちです。
本日、TumblrでLGBTに関するパロディというかディスりが流れてきてあることに気が付きました。
そのディスりは、LGBTの団体が女湯に全裸で入ってきて、何が問題なの?とジェンダーについて宣うのですが、周囲の女性客や子連れのお母さんが困惑するという風刺画でした。
この風刺を考えた人はストレートなんだろなと思った。
多分LGBTが考えたなら、全裸で入浴することがそもそもなかったんだろうと思うし、女性の体のままのビアン、男性の体のままのゲイならいざ知らず、トランスジェンダーで施術が個々人でまちまちな状態で人前で裸になりたいと思うわけないじゃん。
僕は人前で裸になることには抵抗があります。
むしろ、個人個人で分けて欲しい。
自分の性的なアイデンティティーのせいで他人を困惑させたくないし、だから本当は人前で裸になるのは抵抗があっても男湯に入る以上は見せたくない部分も隠しはしていないのであって、わざわざ困惑させる発想自体がすごくストレート的だと感じた。ちなみに見せたくないのは乳首です笑。
何だろう過剰な被害者意識というか、発想そのものが全然LGBTを知らないデリカシーのないものだと感じるし、やっぱバカにしてる?
そう、気が付いたあることというのは、少なくても僕は、ストレートに対して性的な部分を見せたいとはこれっぽっちも思っていないということなのです。
LGBTの中でも特にトランスジェンダーの人たちは、自らを見せ物にしたい人なんていないと思うし。
ストレートのみんながみんなそんなデリカシーのない人だとは言わないけど、同性同士なら裸を見せても問題ないという常識そのものが僕の感覚と合ってないんだと思う。
やっぱり僕はセックスしたり診察されるわけでもないのに、他人に乳首を見せたいと思わないんだもん。
体は男だけど、男の体に違和感はないのだけど、だけど何となく嫌なことには変わりない。
ゲイの友達と温泉やスパ銭に行く時だって、なんとなく嫌なのに。
自分の常識が通じないこと、常識で考えること自体が配慮の足りないことになってしまうこと、そしてその配慮のなさに傷ついたり怒りを覚えたりすること。
面倒臭えと言ってやりたくなることも僕にだってあるのだけれど、そんななんじゃ何も変えられないし、LGBTの問題に関してはストレートとは平行線だよね。
あなたの常識だと恥ずかしがることではないかもしれないけど、そんな常識を押し付けられて見せたくもない物を見せてるこっちは、レイプされて気持ち良がってたじゃんと言われてその行為自体を正当化されてる被害者の気持ちと言いましょうか。
ハァ〜?って感じです。