権利のための羞恥心。

おはようございます、けんいちです。

 

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このイラスト、直球でバカにしてるでしょ?

 

誰もこんな無理強いをするためにLGBTの権利を主張しているわけじゃないのに。

こういう表現は単なる意地悪にしか感じない。

 

夫婦別姓でもいいじゃないかという議論が、ただ結婚したからといって女性が男性の姓を名乗らなくてもいいでしょ?というのと同じ程度の権利の主張をしているだけで、LGBTだって婚姻に相当するパートナーシップを認めて欲しいと言ってるだけなんだって。

 

それ以外の枝葉末節な権利は常識や良識の範囲で決まっていく物でしょ?

こんなことLGBTの一人として許されることじゃないって逆に言ってやりたい。

 

権利の形を決めるのは、その社会が持つ常識や良識なのだから。

そして権利に対する許容はその時代の背景が決めるものであって、その範囲を超えてまで認められるべきではないし、他者への迷惑になってはならないはずだし。

 

自由主義における自由とは何かについて、高校生の頃世界史の授業で初めて考えさせられたわけだけれど、何でもOKなのも自由かもしれないけど、何かを禁止することも自由意志の合意によって決められたならそれもまた自由の選択だというのがあった。

新たな差別を生むような自由は望まない。

むしろ禁止してでも仲良くやっていきたい。

 

性に対する意識なんて明日いきなり変わるわけではないのだから。

当事者たちの羞恥心には無配慮に、こんな主張もあるかもしれないじゃないかって、そこまでの鉄の精神は持ち合わせておりません。