封印が解放された時、最後に希望は残るのか?

おはようございます、けんいちです。

 

僕は大学時代に、なんで自分が男が好きなのかその理由が知りたかった。

でも自分の専門は法律だったので、当時の異分野での最新の研究成果も単なる聞きかじり程度にしかわからず仕舞い。というか、今も当時も核心に迫るような研究結果に出会った試しはないのだけれど。単に僕の探究心が低いせいなのか。

 

今日、たまたまBSでHUMANIENCEという番組を見ていて、哺乳類の進化にはウィルスが関与しているという内容を見たのだけど、哺乳類の胎盤はウィルスの遺伝子を取り込んだ結果生成された物だというのである。

卵生から胎生への進化。

遺伝子って面白い。

 

ずいぶん昔に封印した、なぜ自分は男を好きになるんだろうか?が蘇ってきた。

大学に進学していろんな分野の知識に触れて芽生えた疑問。

なぜ僕は同性を好きになってしまうのか?

 

基本的に生物は自分の遺伝子を残すために生きていると理解している。そのため、遺伝子を残すことの出来ない行為は行わないし、しようと思わない。

人間だって動物なんだから遺伝子の目的から外れるはずはないのに、なんで?

 

なんで遺伝子を残す可能性がない行為を求めることになるの?

どうして生物学的な身体の作りとは釣り合わない心を持つの?

もしかしてウィルスから取り込んだ遺伝子のせいなの?

解明してくれたら、ずっと心の中にあって見えていないふりをしてきた何かに光をあててくれる気がする。

 

僕は今までゲイであることを否定的に考えたことはないし、これからもそうだと思っていた。

でも、違ったのかもしれない。

いや、否定はしないものの、無意識にでも、今まで同性愛者であることの何かに悩んできたのかもしれない。

自分を否定しないために、悲劇的な結果を予想しないように封印してきた何か。

 

社会人になってから完全に封印してきた探究心は、自分の成り立ちを知ることは、自分を肯定するためには必要なくて、今だけを見て未来を夢見て生きていくことで支えられてきたように思う。

でも、もしも過去に起こった何かのせいで同性愛者になることが判明したとしたら、もとに戻すことも可能なのかもしれない。

 

戻れたとして、今の自分を捨てたいとは思わないけど。

もうどんな結果も受け入れられるくらいの諦めを知っても頑張っているし。

でも、知って気が楽になることもあるし。

どんな意味があるのかを知ってこその可能性だし未来だと思うから。