【無題】

おはようございます、けんいちです。

 

僕が所属するゲイコミュニティーは、主にゲイバーです。

すでに20年以上通い続けているし、もうそのコミュニティーに慣れてしまって居心地がいいというか、楽なので。

 

でも、その中での立ち位置は、年齢ごとにどんどん変遷しています。

 

まず、デビューしたての20代前半は、ゲイバーが嫌で仕方なかったし、ゲイバーはコミュニティーではなく憂さ晴らしの場であり、飲んだくれる場でした。

そしてモテること。年齢的にもゲイバーヒエラルキーの最上位である若さと、それなりのルックスで何をしても許される感もあり、ルックスと目立つことでモテまくっていました。もちろんタイプでない人からはガン無視でしたが。

次に酔っ払うと仕事の愚痴をこぼしまくり。挙句には泣く。

もちろん誰彼かまわず愚痴をこぼしてはいませんでしたが、高飛車で嫌味な僕を見捨てずに愚痴を聞いてくれる年上の店子さんにいっつも話を聞いてもらっていました。

この時代の僕の立ち位置は、若さでキラキラしていました。

浅はかで自覚なんてなかったけれど。

 

次に、もう若くない20代後半。

この頃にはゲイバーでの自分の立ち位置、私生活や仕事での充実感などがあり、自然に楽しめていた気がします。少しだけ丸くなれたというか。

この頃から、いわゆるオネエ言葉や仕草にも抵抗感がなくなって、ゲイバーで素の自分を出すことに抵抗もなくなった気がします。

オネエキャラも確立です笑。

でも、逆にこの頃の特筆事項が思いつきません。ただ、充実していただけだった気がします。

いや、一つだけ特筆事項がありました!今も当時も親友である友人と喧嘩をして1年間まったく連絡を取らなかったことです。僕は完全に彼と離れたつもりでいましたが、彼の方が1年経ったくらいに連絡をくれて、友情は修復され今に至ります。

総じて言えば、この時代もキラキラしていましたね。充実感を実感してました。

 

28、9から30代前半にかけては、年下の子に嫉妬を覚えた時期だし、どうやって自分の価値を高めるかということに躍起になっていたと思います。

ゲイバーヒエラルキーの上位にいたいなら努力が必要になってきたわけです。

 

この頃からですね、一緒に遊んできた友達たちが、ただのノリだけで連まなくなってきたのは。こっちの方が重大な問題。

それぞれがもう一度、社会や家族や仕事やいろんなしがらみと向かい合わなくてはいけなくなってきた頃。

ゲイにとっても、アラサーはいろんなしがらみと向かい合わなくてはいけない時期なのかもしれません。

 

社会的にも仕事的にもまだまだ自分を確立するために頑張れる時期なのに、早い人では親の介護を考えなくてはいけない人も出てきたりしました。

今までは個人的な努力で乗り越えてこられた問題ばかりだったのに、他人のために自己犠牲が必要になるというか、親なので他人ではないのだけれど、自分自身の問題ではないことに自己犠牲を払わなくてはいけないことの意味と向き合う必要が出てきたわけです。

ゲイは基本的に子供がいないから、自己犠牲なんて無縁だと思っていたのに。

 

そして、自分自身で制御できることのはずなのに、健康という問題を抱えることになる人も出てきます。それまでの不健康な生活のつけが成人病という形で出てき始めるのもこの頃。

 

ゲイにとっての健康を考える時、いっつも思い出すのが糖尿病になったデブ専の友達のこと。

彼は糖尿病になってしまったのにデブ専のデブという矛盾。

モテ続けたいために何度か危機的状況を繰り返し、結局仕事を辞めて田舎に帰ることになりました。

彼のことを思い出すと、さらに思い出す友人がいて、その友人は重度のアトピーなのにゴーゴーで、ステロイドを多用し、その結果取り返しのつかない事態を招き、やはり田舎に帰っています。

この頃って、どうしてもチヤホヤさなくなることへの恐怖感に支配されやすいのかもしれません。

 

そして僕はというと、地味という言葉の意味を取り入れることになりました。

神や親から与えていただいた物だけでは楽しくなれなくなったことを自覚し、自分の居場所を確保するためには、更なる自分自身の努力も必要とされる時節になったことを自覚したわけです。

なぜにそんなにゲイバーというコミュニティー固執するのかとも思うのですが、それはきっと先の二人と同じ理由なのかもしれません。

 

30代後半から今に至るまでは、もう本当に特筆すべきことはありません。

一人の人間として、ただ生きているだけ。

全ては今までの延長線上だし、新しいチャレンジのはずなのにまったく新しくない。

まるで全てがLes MiserablesのI Dreamed A Dreamのよう。

 

かといって、まだ夢がないわけでもない。

こうありたいという自分もあって。

 

今までのゲイとしての人生を振り返り、これからのゲイとしての人生を模索するために始めたブログだったのだけど、別にきれいにまとめる必要もないのかなと。

 

 

コロナに罹患して、なんとなく形にしたくなったゲイとして思うことを文章してみようという思いにさえ慣れてきてしまったけど。

 

でも、いっか。

日記の代わりに、何か書き続けよう。