札幌の判決について。再考。でも、まだ途中。
おはようございます、けんいちです。
札幌の判決については、以前書いた通り。
すごく大きな前進だったと思います。
きっと、上告審での判決が真逆だとしても、今後に大きな影響を与えると思う。
でも、その一方で、あの判決がとても限定的なことを認めたいと言ったものだとも思う。
それは、今まで同性同士の婚姻に障壁だった両性とは何かを明確にしたかっただけだと思う。
別にLGBTQ+の権利全てについて何か言っているわけではない。
それを受け止めることが重要だと思う。
もちろん、本当に差別のない状況を享受したいと思うけど。
何がダメで何がOKか。
LGBTQ+が求めている権利って、自分がクラクラしてしまうことは包含しないのか、疑心暗鬼になってしまう。
マーケットがあればいいのか。
なければOutなのか。
生理的な拒否反応って我慢すべきことなのか。
何もかもが理屈や論理で正論化されるのか。
僕自身のことは認めてほしいけど、僕の感覚に合わないものは認められない。
でも、それは裏を返せば僕を認められないこともありうることを意味している。
誰がLGBTQ+なんて一括りにしたんだよと思ってしまう。
個人的なことまで、社会問題にすべきなのか。
それを言ったらやっぱりLGBTQ+の問題全てがクローゼットの中にしまっておくべきなのか。
まだ途中だ。
まだ個人的な意見さえも突き詰められていない。