まず最初に書きたかったこと。バーフライなのかなってこと。
おはようございます、けんいちです。
まずブログを始めるにあたって最初に書きたかったこと。
それは、バーフライについて。
バーフライって言葉知ってますか?
今でもそんな言い回しがあるのか、すでに滅亡したのかは知らないけれど、安酒をちびちびやりながらバーに入りびたっている人のことを、カウンターに居座ってぶんぶん迷惑なハエになぞらえてバーフライというそうです。
この言葉を聞いたのはまだ中学生の頃。往年の映画俳優、ミッキーローク主演の映画のタイトルで、その番宣を観てなんて卑屈でみじめな映画なのだろうと思った。
大人が酒を飲むのにも抵抗感があったし、ましてや酒に溺れてバーフライなんて呼ばれる人間なんて軽蔑を感じていた中学生の自分。まさか、自分が大人になってバーに入りびたっているなんて夢にも思っていなかった。
ゲイバーに通いだして25年。
何を求めてゲイバーに通っているのか永遠の命題ではあるのだけれど、一つハッキリ言えるのは孤独が嫌だったからだし、今でも孤独が嫌だからなのだと思う。
本当は一人の時間だって欲しいし、むしろそういう時間を大切にしたいのになぜか飲みに出てしまう。
20代の頃は2丁目から会社に出勤したこともよくあった。
飲み始めるとつい楽しくなって帰るタイミングをなくしてしまう。
今でもタクシーで帰ればいいやって心の中の小悪魔が囁くこともある。
この孤独を遠ざけるための戦いを感じた時、バーフライという言葉を思い出させられる。
それはたとえ仲の良い友人達に囲まれている時であっても。
強がって言えば、お酒は楽しい時間をくれる。
それで良いじゃないかと思う。
セクシャリティにオープンになって楽しい時間を紡げるなら、それはゲイバーを知らずに、そこで出会えるゲイの仲間達を知らずに孤独を感じていた学生時代の自分よりよっぽどハッピーなんだろうと思う。
なのに最後に思い出すバーフライという単語。
最後に訪れる孤独感。
バーフライはハッピーなのかみじめなのか。
自分はバーフライなのかそうではないのか。
バーフライという単語は、僕を孤独な学生時代に連れ戻す意地悪な魔法のようだ。